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小津安二郎 生誕110年没後50年 [演劇]

 小津安二郎は筆者が若い時代にはすでに巨匠で、映画好きの学生が小津論を熱っぽく語っていた記憶がある。しかし筆者は一切小津映画は見なかった。直感的に避けていた。若い友人たちに衒学的臭いを感じていたし、小津教ともいえるシンパがなんかいやだった。爾来30年以上が経ち、先日BLD(ブルーレイディスク)で生まれてはじめて小津作品を観た。「秋刀魚の味」(1962年)である。彼の遺作とされる、この作品、早くに妻をなくした初老の男性(笠智衆)が主人公で24歳の娘(岩下志麻)を嫁にやるまでの心理描写を淡々と描いている。正直感動し、小津作品の代表的なものはすべて見たいと思った。そしてもうひとつ、50歳を過ぎて初めてみることができた幸せも感じた。これを若いうちに見てしまうもったいなさ、である。ストーリーはシンプルではあるが、ちょっとした嘘をうまく道具に使ったり、日本酒やビール、ウィスキーといった酒を飲み分ける当時の初老の人々の酒とのつきあいが見えたりと、家族制度の色がまだ残る60年代初頭の日本がある。小津に近い世代感覚で、出演者に近い年齢で見ることができる。若い時代には決してできない味わい方である。さて肝心の主人公の描き方なのだが、確かに素晴らしい演出とは思うのだが、自分には素直に感情移入できなかった。自分は映画評論家ではないので、映画は自分の生き方、生きることへの考え方などを作品にトレースさせながら見る。すると「老残」「ひとりぼっち」といた彼の人生がまったく成功者の豊かな、しかも決して一人ぼっちではない人生に見えるのだ。今の多くの初老の人間も同意なのではないか。作品の中で一人感情移入でき、半分くらい共感できた主人公の中学時代の恩師で、今はラーメン屋の主人は「俺は人生失敗した」と嘆くがそれでも自分の感覚からは十分な人生のように思える。「ああなっては いけない」と主人公に改心させる失敗例がそれでも自分よりはましだなと思う感覚。価値観が今とはずいぶん違う、そして自分には永遠に手に入れることができないもの。そんなものが小津作品にはあふれている。老巨匠の遺作はある意味問題作であることが多い。そして最後は何にこだわったかである意味作家としての墓標にある終止符を刻む。キューブリックとピカソは性にこだわり、黒澤は過去の精神形式に知的退行を試みた。小津はこの作品のあと癌に罹患していることが判明。自分の誕生日と同じ12月12日に世を去る。小津のこだわりはなんだったのか。「孤独と覚悟」と思いたい。価値観や生活様式は今と全くことなるが彼が直感していたものは極めて今日的である。そして彼が「ああなってはならない」ラーメン屋の親爺をはるかに凌ぐ孤独が我々の日常となっている。小津はそういう身では戦後の日本が失った精神の気高さを後世に気づかせてくれる役割を持つ。しかし自分もいい年過ぎて初めて小津作品にふれてよく書くものである。小津信者で何を世迷い言を思われる方は笑い飛ばして欲しい。


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