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小津のマンネリに隠されたもの 2014年7月29日 [映画]

 小津の一連の作品、特に「晩春」以降は野田高梧の脚本で「秋刀魚の味」まで通している。役者もかなりの重なり、つける音楽も、もちろんカットも、である。若い監督の卵などからは当時どう思われただろうか。マンネリ、進歩のないなどと批判されたのではないか。かくいう筆者は若い時代は小津嫌いで1作も通して見たことがなかった。だがここ最近、小津作品を見ている。この歳になってようやく小津の価値がわかったと思う。しかしいくつも続けてみると「晩春」以降は映画を構成する、脚本、演出、カット割り、音楽、配役などがだいたい同じだと気づく。エンディングは唱歌が流れたり、笠智衆の一人芝居だったり。BGMはオルゴールだったり、効果音としてビアノを練習する音が入ったり。だからこそ、戦後に大学を卒業した”優秀”な監督は若い監督の卵が集まればこっそり指弾したのではないか。だがこうしたマンネリを続けると見えてくるものがある。小津監督そのものだ。監督の作家性とも言うのだろうか。それに気づくとカメラ目線のあの独特のカットもセリフが見てるものにダイレクトに伝わってくることが理解できる。小津の魔法とでも言いたい。もともと映画などはほとんどみない筆者ゆえの感想である。
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