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百年後の自分 2015年2月4日 [随想]

 「百年後の自分」を想像したひとはいるだろうか?小学生以上の人間は間違いなく死んでいる。時代は22世紀。
それでも想像せよ言われた場合思い浮かべるのは故郷の墓である。自分では付けるはずものない戒名が刻まれている。昔と違って映像や写真は子孫には伝わっているかも知れない。だが死者に興味を持ってくれる子孫はいるのだろうか?筆者は心境が変わらぬ限り墓には入らないつもりである。もちろん葬式もなしである。ただ死体として処理され、灰を捨てられるだけでよい。死亡届で親戚や友人たちにも死んだことは知らせない。できるかぎり野性の鳥や獣のように死んでいく。高校時代に読んだ徒然草に死後年月が経てば誰もその人を知る人がいなくなるものだという一節があり、生きることのはかなさを知った。それ以来のことである。一方で普通のように生き普通のように家族葬で死んでいく。世の常識に従うだけでいい、そんな思いもある。そんな取捨選択の彼方の百年後。自分の命日の今の住処の天気は晴れだろうか曇りだろうか、雨だろうか。
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